ウルクカイル湖から生命の森までは、険しい岩山の道が続く。
魔王の影の襲撃が無いとしても、どうしても進む速度は落ちてしまう。そうして、リオ達が生命の森に辿り着いたのは、ウルクカイル湖を出発してから一ヶ月経とうとした頃だった。
森には昔と変わらない風が吹き、木々のざわめきが響く。その中心に一際大きな巨樹が枝を広げ、梢をゆらす。その巨樹……生命の樹の幹に触れ、一人のエルフが佇んでいた。
「……ここまで辿り着いたか」
背後から近付いて来た気配に、エルフは振り向かずに呟く。
「久しぶり。変わらないな、ユーリ」
声をかけられ、ユリアスは僅かに口元に笑みを浮かべ、振り返る。
「本当ならば……再会を喜ぶべきなのだろうが、難しいものだな」
そう言って、ユリアスは目の前に立つリオを見た。
「ここに来た、と言う事は、ケルンとコアトルには会ったのだな?」
ユリアスの問いに、リオは頷く。
「二人は前に話さなかった事があると言ってた。時間が足りなくて断片的にしか聞けなかったけど……セレネは月華の属だ。ちゃんと話を聞かせて欲しいんだ」
リオの言葉に、ユリアスは目を伏せる。
「二人の話を聞いてそう言うのであれば、祭壇への道を開こう。だが、今日は一先ず休んでからだ」
ユリアスはそう言って、後ろにいたザンデを見ると、彼は肩をすくめた。
「私の事は……」
「今更、隠そうとしても無駄だ。お前の身体と魂を侵蝕している魔力……明らかに魔王の物だ。
まったく……それだけ侵されて居ながら、よく自我を保って居られるな」
呆れ気味にユリアスは溜息を吐き腰に手を当て、リオがザンデを見ると、彼は視線を背けた。
「明日は新月だ。本当……間に合ってくれた良かったよ。そこまで侵蝕されていては、流石のお前でも抗うのは厳しいだろう。だから、今回は樹の力を借りて私が抑えよう。まずは、ゆっくり休んでくれ」
ユリアスの言葉にリオは頷き、心配そうにザンデを見た。
翌朝、目が覚めたリオは朝靄の中、森の中をゆっくりと歩く。
懐かしい森の空気に耳を澄まし、木々の間から射す木漏れ日に目を細める。
……森は変わらないのに、自分を取り巻く環境は、旅に出る前とは大きく変わってしまった。
あの時、何時も一緒にいたルークは……自分と魂を分けた兄は居ない。
自分の中にある僅かな繋がりが、ルークがまだ居るのだと言う証。
だが、それも自分の気のせいでは無いかと不安になる。
自分が自分を保つために生んだ幻想なのではないか、と。
その場に立ち尽くし、リオは空を見上げる。
木々のさらに上に、生命の樹の大きな枝が静かに揺れる。
溜息を吐き視線を戻すと、生命の樹の根元に座るザンデの姿が目に入った。
肩に手を当て、目を閉じているザンデに近づくと、首元に赤い痣が浮かび上がっているのが見えた。
そこで、ザンデはリオの気配に気が付き顔を上げる。
「……その痣……大丈夫か?」
リオが問いかけると、ザンデは首元をマントで隠し苦笑する。
「今は、何とかな」
そう言ったザンデではあるが、見るからに顔色が悪い。ここで黙って目を閉じていたのも、強まる侵蝕を抑えていたからだろう。
「……何があんたを、そこまで支えて居るんだ?」
リオは無意識に呟く。それにザンデは驚いた顔をするが、直ぐに目を伏せ微笑する。
「後悔……かな」
そう言って、ザンデは手を見つめた。
「私は護ってやれなかった。すぐ隣に居たにも関わらず……自分の躊躇が、僅かな差を生んだのだ」
ザンデは静かに拳を握りしめる。
「いつの間にか、当たり前になっていて……居なくなって初めて、自分がどれだけ依存し、その存在に支えられて居たのか気が付くとは……とんだ大馬鹿者だ」
そこで、ザンデは空を見上げ、木漏れ日に手を伸ばす。
「もう一度、会って……伝えなければ。あの時の答えを。……今は、ただ、それだけだ。私の中に、僅かな盟約の繋がりがある。それが、あの子が抗っている証。それを信じるだけだ」
ザンデの言葉に、リオは思わずハッとする。それにザンデは笑みを見せた。
「……自分にしか分からない、僅かな繋がりを、自分が信じてやらねばどうする?
それが消えたとしたら、お前は気のせいだったんだと諦められるのか?」
その言葉に、リオは俯き胸に手を当てる。
「お前が感じているならば、相手もそれが自分は一人では無いと言う支えになる筈だ。
……信じてやれ、その感覚を」
この繋がりがある限り、ルークは一人で戦っていると言う事……
「ヒトは誰でも他者に支えられて居るものだ」
不意に聞こえた声にリオが顔を上げると、生命の樹に寄り掛かるベルンの姿があった。
「一人で生きて行ける者など、そう居るものでは無い。ウジウジ悩む暇があるなら、さっさと助ける方法でも考えろ。……ザンデ、お前もだぞ」
そう言って視線だけ向けたベルンの姿に、ザンデは苦笑する。
そんな二人の様子にリオは小さく息を吐く。
「そうだな、オレが信じてやらなきゃ」
そう言って笑みを見せたリオに、二人は黙って笑みを見せた。
次第に夕日が空を赤く染め、夜の帳が降りてくる。
生命の樹の根元にある洞窟で、中央の台座にザンデを座らせ、ユリアスは祭壇に置かれた小瓶を手に取る。
「……時期に完全に陽が落ちる。今夜は何も心配しなくても良い。後は任せてゆっくりと眠れ」
そう言って、ユリアスは小瓶をザンデに渡す。生命の樹に落ちた朝露を集めて作る霊薬だ。
それを黙って見つめた後、ザンデは顔を上げる。
「……もし、私が……」
ザンデが口を開くと、それを遮りユリアスは肩をすくめる。
「余計な事は考えるな。さっさと、それを飲んで休め」
すると、ザンデは苦笑し霊薬を飲み干し、台座に身体を横たえ息を吐くとユリアスを見た。
「……手間をかけて……すまない」
「心配するな。おやすみ、良い夜を」
その言葉にユリアスが微笑み答えると、それが合図となり、ザンデは深い眠りに落ちて行った。
暫しの沈黙の後、白光のアミュレットが光を失って行き、同時にザンデの魔杖が浮かび上がると、展開されたドーム型の魔法陣が彼を包み込む。そこで、ユリアスが印を切ると、僅かな振動と共に、洞窟の壁に張っていた生命の樹の根から光を帯びた蔦が伸びて来る。
それは、球状に魔法陣の外側を包み込み、その中は次第に濃いエーテルで満たされて行く。
すると、それに反応するように、光を失った白光のアミュレットが僅かに輝きを取り戻した。
その様子を洞窟の入口で見ていたベルンは、一先ず落ち着いた状況に外へ出ると、入口を護るように壁に寄り掛かると目を閉じた。
空が闇に染まり星々達が僅かに輝き、波一つない湖に映し出される。
その湖の畔に立つ白衣の男……ロイは、腕に留まる隼を優しく撫で、その首に小さな魔晶石のペンダントをかける。
そして、ロイが小さく呟くと、隼は理解した様に舞い上がり、北へ向かい飛び去って行く。
「……さて、これで私の役目は終わりなんだが……少しばかり、時間稼ぎでもしてやろうか」
そう呟いた瞬間、ロイを狙い放たれた漆黒の矢が、全て障壁に阻まれ霧散する。
「甘いな。薬師一人くらい楽に消せると思ったか」
ロイがそう言って振り向いた先に、闇から滲み出るように魔王の影が姿を見せる。
「見くびり過ぎましたか。……貴方からは不可解な力を感じる。あの占星術師と同じような……」
影の言葉にロイは目を伏せる。
「……その力、運命の輪の外から干渉してくるような違和感……見逃す訳には行かぬ」
「お前が言う事はよく分からんが……私は命を狙われて、素直に差し出す程愚かでもないのでね」
影が魔力を紡ぐ様子に、ロイは肩をすくめて見せる。
「私は、お前を倒せるような力は持ち合わせていない。……が、抑える事くらいは出来る」
そう呟き、ロイは眼鏡を正す。そこで、彼めがけて無数の漆黒の槍が放たれ障壁に亀裂が走る。
『……壁破られし時 其は 汝封じる檻と成る』
「何……!?」
次の瞬間、障壁が砕け散り、それは形を変えて影を包み込むと、展開された魔法陣が開いた歪に影は飲み込まれた。
そして、ロイもまた、漆黒の槍に貫かれ膝を付く。
「……これで、本当に私の出番はここまで、だ」
ロイはそう言って笑みを浮かべる。
白衣は見る間に赤く染まって行き、小さく息を吐くと、彼は星空を見上げた。
「月よ、想うならば抗って見せよ。陽よ、願うならば掴み取って見せよ。あとは……彼ら、に……」
それを最後にロイは倒れ、その身体は光に包まれると羽根となって消えて行った。
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