空は常に黒い雷雲が広がり、雷が絶え間なく湖面に落ちる。
月華の力が何なのか……それの答えが分からないまま山道を登り、リオ達は山頂のウルクカイル湖に辿り着いた。龍神トゥニトルスを祀った祭壇があるその場所は、アシュタ渓谷と同じく、遺跡の入口を証を持つ者が通ると雷の祭壇へと導かれる。
三人がそこへ足を踏み入れると、雷が渦巻き翼を持った蛇が姿を現した。
『……おやおや、懐かしい気配がしたと思えば……坊主ではないか』
「久しぶりだな、コアトル」
リオが声をかけると雷の守護・コアトルは目を細める。
『……それと……ダランの縁者か』
リオの少し後ろに立つザンデを見てコアトルが呟くと、ザンデは首を傾げる。
『お主、常闇であろう? 今は魔王と呼ばれし緋月の君……それに連なるならば縁者で違いあるまい』
コアトルの話にリオは振り返りザンデを見ると、彼は目を閉じ溜息を吐いた。
その姿にコアトルは可笑しそうに笑いを漏らす。
『誤魔化そうとしても無駄だぞ? お主はダランの生き写しだ。容姿もそうだが、その仕草、魔力……何もかも、な』
自分の様子を面白げに見るコアトルにザンデは首を振る。
「……否定はせんよ。私が常闇である事……それは事実だし、この身に流れる血は私の誇りでもある。
お前がそう言う態度で来るなら、回りくどい事は無しだ。率直に聞こう。魔王が月華から奪った力とはなんだ? そもそも魔王とは何者だったんだ? その話ぶり……守護は魔王と面識があるようだが?」
ザンデが問いかけると、コアトルは一瞬たじろぎ身をくねらせる。
『……本当にいきなり核心を突く質問をして来るな……』
若干、挙動不審になったその姿にリオも苦笑し肩をすくめる。
「真実は守護のみが知って居れば良い……ケルンが言ってた。当時、オレ達が知らされなかった事って何なんだ?」
続けてリオも問いかけると、コアトルは目を閉じた。
『……陽と月はこの世界の象徴……つまりは世界の核だ。常に人々に寄り添い共にある信仰の対象。……だが月の力には裏の顔もあった。それがヒトを狂わす狂気の魔力。それは年月を重ねる毎に強くなって行き……次第にその魔力に魅かれ狂い始める者も現れた。それが月狂いの始まりだ』
そこまで聞いてリオは考え込む。ヒトを狂気へと誘う魔力……つまり、それは……。
「魔王が手にしたのは月華の狂気の魔力だった……?」
リオが呟くとコアトルは羽ばたく。
『そうだ。放って置けば月華は狂気の魔力に蝕まれ、それはやがて世界の均衡を崩す。そうなった場合、それを取り除くには月華を消さなくてはならなくなる。しかし、それは世界の終わりを意味する。それだけは避けなければならなかった』
そこまで話した時、コアトルの姿にノイズが走る。
「あ! まだ話の途中だぞ!」
リオが慌てて声をかけると、コアトルは呆れ気味に目を細めた。
『仕方がなかろうが。我も一応、陽鴉の属。本来、こうして出て来るのも一苦労なのだぞ』
そう言ってコアトルが旋回し渦巻くと、リオの前に雷の聖霊石が現れた。
『次はセレネの祭壇に行くのだろう? あれは月華の属だ。続きはそっちで聞け』
そして、コアトルはザンデに目を向ける。
『……決して己を手放すのではないぞ。それは、ダランの望む事では無い』
その言葉にザンデは黙って頷く。その左手は無意識に傷を庇う様に脇腹に当てられていた。
そんな姿を憐れむ様に目を細めコアトルは現れた時と同じように、雷をまとい姿を消した。
「……また中途半端に謎を残して行く……」
雷の聖霊石を手に取り、リオは溜息を吐く。
「それでも、魔王が月華から奪った……と言うのも違うような気もするが……魔王が手にしたのは闇の力ではなく、その裏に秘められた狂気だと言う事は確定したな」
ザンデも苦笑しつつ口を開くとリオは頷く。
「だとすると……魔王はいづれ自分が倒されるのは分かっていた、と言う事になる……」
ポツリとベルンが呟き、リオは雷の聖霊石に視線を落とす。
コアトルの言う通りだとすれば、狂気の魔力を取り除かなくてはいけないと言う事は分かっていた筈。
分かっていて月華を守る為に狂気の魔力を引き受けたのだとすれば……。
それが自分達が戦ったあの残忍な魔王だと?
「とは言え、これ以上は自分達で考えても憶測にしかならんな。コアトルの言う通りセレネの祭壇へ行き、そこの守護に確かな話を聞くしかあるまいよ」
考え込み始めたリオの姿にザンデはそう言って苦笑した。
その日はウルクカイル湖より少し山を下りた所にあった洞窟で休む事に決め、早めに横になった。
少し眠っただろうか……。コアトルの話を聞き考えていた所為か、リオは夜中にふと目が覚める。
外は新月の為かほぼ真っ暗で焚いている焚火の明かりだけが目に入る。
そこで、いつもは焚火の前に座って居るベルンの姿が無い事に気が付く。
見回りにでも行ったのだろうか……?
そう思い身体を起こすと、隣で横になった筈のザンデも居ない事に気が付いた。
何時もと……何所となく感じる違和感にリオは立ち上がり焚火の元に向かった。
「……何だ。目が覚めたのか」
その声に入口から枝分かれした洞窟の奥を見ると、壁に寄り掛かり溜息を吐くベルンの姿があった。
「……なんか考え過ぎてたせいか目が覚めちまった。こんな所で何してるんだ? ……ザンデは?」
リオが問いかけるとベルンはちらりと脇の通路の奥を見る。
それに釣られてリオも奥を見ると、その通路に結界が張られている事に気が付いた。
「……一体……何があったんだ?」
リオが困惑し、ベルンを見ると彼は黙って目を伏せる。
「もしかして、ザンデの体の調子が悪いのか? だったら……」
「……ベルン、もう大丈夫だ。通してやってくれ」
その時、奥からザンデの声が響き、ベルンは結界を解くと奥へと向かう。
リオもそれを慌てて追いかけると、少し進んだ行き止まりで身体を地面に横たえ、苦しそうに息をするザンデの姿があった。
「ザンデ!? どうし……」
そこまで言いかけ、リオはベルンが抱き起したザンデの姿に息を飲んだ。
彼の顔の右側……目に向けて赤い網目状の痣が浮かび上がっており、ただ事ではない雰囲気に立ち尽くす。そして、微かに感じる忘れる筈も無い魔王の気配に背筋に寒気が走る。
ベルンは黙って水袋の栓を外し、ザンデの口に水を含ませると、ザンデはゆっくり水を飲み込み息を吐く。
「……何が……あったんだ?」
何とか問いかけるとザンデは苦笑し目を開く。その右目の瞳は赤みを帯びた金……緋月眼だった。
「……魔王の器って、あんたの事だったのか……」
リオの問いにザンデは頷く。
「普段はお前の仲間がくれたアミュレットのおかげで干渉はほぼ防げているが……新月の夜だけは呪いの干渉が勝る」
そう言ってザンデは上着の留め具を外し、いつも庇っていた右脇腹の傷跡をリオに見せる。
そこには傷口から右目に向かい伸びる、網目のような赤い痣がはっきりと浮かび上がっていた。
「新月の夜は自力で侵蝕を抑え込む必要があるのでな……早めにキャンプに入ってもらったのだ」
そこまで言ってザンデは大きく息を吐き出し目を閉じる。
「……そのくらいにしておけ。今はもう休め」
ベルンの声にザンデは目を閉じたまま頷き、少し目を開けリオを見ると頼りなさげな笑みを見せる。
「……すまん、少し……眠らせてくれ」
その姿にリオは黙って頷き、ザンデはそのまま目を閉じた。
気を失う様に眠ったザンデをベルンは抱き上げ、入口のキャンプに戻ると元の場所にザンデを寝かせ、後ろを付いて来たリオを見た。
「お前も今日は寝て置け。あいつは明日は恐らく動けんだろうから、聞きたい事があるなら明日聞いてやる」
ベルンに声をかけられリオは黙って頷き、焚火の隣で横になった。
翌日、入口から差し込む朝日に目が覚めたリオは軽く身体を伸ばし周りを見る。
ベルンは外に出ているようで、奥で横になっているザンデの様子を見に立ち上がる。
昨夜、顔にまで浮かび上がっていた赤い痣は消え、呼吸は落ち着いているものの少し辛そうな顔で眠るザンデの姿に、リオはその隣に腰を降ろし溜息を吐く。
彼も、彼なりの譲れない理由があって旅をしているのだとは思う。
だが……魔王の器として印をつけられ、それに抗いつつ旅を続けるなど並大抵の精神力で出来る事ではない。
「まだ……起きないか」
その声に振り返ると、外から戻ったベルンが立っていた。それに黙って頷き、リオは再びザンデに視線を落とす。
「なんで……ザンデはこんな無理してまで旅に出てるんだ?」
先程まで思っていた事を呟くと、ベルンは溜息を吐き壁に寄り掛かる。
「……お前は自分が特別だと感じている仲間が……例えば、アリアが目の前で敵にさらわれたら……どうする?」
「それは……」
自分に置き換えられ、リオは口ごもる。
アリアが目の前でさらわれたりすれば、何が何でも敵の足取りを追い探し回るだろう。
「そう言う事だ。いつ……自分が壊れてしまうかもしれない。ならば、自分を保てるうちに見つけ出したい。……そう思っている奴を止める事などできん」
ベルンの言葉にリオは言葉を選ぶ様に思案する。
「心配……じゃないのか? 止めようとは思わなかったのか?」
リオが問いかけると、ベルンは肩をすくめる。
「止めた所で、そいつは言う事を聞かないさ。なにより、そんな事をしたら一人で行方をくらますからな。だったら、好きな様にさせて共に行動した方が……止めようがあるだろう?」
半ば諦め気味にそう言ったベルンの姿にリオは苦笑した。
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